僕がインドでニートになったわけ
どーも、初めまして、
だんぼ (@CoCdanbo) です。
記念すべき初ブログなのでなんでインドでニートになったのかの説明をちょいと書きます。
インドで日本語教師を開始!
僕は2015年8月から南インドのある大学で日本語教師をしていました。
インドで日本語教師と聞くとJICAの青年海外協力隊やNPOでのボランティアをイメージする人が多いですが、残念がながら僕は全く別口。
知り合いの知り合い(この時点では初対面)の話に意気投合して、その人の新規事業が面白そうだと思ったのでインドへ行ったのです。
新規事業のためにインドでの日本語教師+それ以外の雑務の手助け、空いた時間に自分の好きな活動を!とそこそこ充実した日々を過ごしてました。
そう、あの日までは。
大学でカバディプレイヤーと。このときはまだ肌が白い
インドに100年ぶりの集中豪雨が襲来!
2015年11月~12月南インドで100年ぶりの大規模な集中豪雨がありました。
詳しくはこちら
このとき大変さ、チェンナイからの必死の脱出劇はまた時間のあるときにでも。
まあこの豪雨によって日本語教育のプランが大幅に変更。
プラス知人の知人(このときはもう既にかなり仲良し)が事業の変更を決定。
結果日本語教師+その他の仕事が終わりました。
それを告げられたのが2015年の12月25日。
とんだクリスマスプレゼントだぜ!と叫んだのをなんとなく覚えています。
日本へ帰国するかニートになるか
この時点で僕に残されていた選択肢は
①日本へ帰国する!(航空券代は出してもらえます)
②インドを旅行する
の二つ。
タイミング的に日本に帰ってもいいなーっと思っていた頃でもあり、そこそこ悩みました。3分くらい。
でも結局インドを旅することを選択。
なぜなら、既にインドにいて、しかも帰りの航空券代ももらって、さらにはVisaも持っていて、こんな有利な状態でインドにいることが今後あるだろうか!いやない!!
と自分の中での結論でした。
まあせっかくインドに来たのにその時点ではチェンナイやポンディチェリーでのおフランスな生活、ゴアでのビーチ・パーティー三昧しか見ていなかったのでインドをもっと見てみたかったですからね。
その後雑務をそこそこ引き継いだり、パスポートを失くしたり、警察署行ったり、警察署で交渉したり、警察署で暴れたりと色々あってなんだかんだ3月にようやく旅がスタートしました。この辺の話はまた別の機会に。
このブログのでは
そんなこんなでこのブログではインドでの旅の様子やパスポートや携帯をなくしたときの対処法、Visaの取り方、インド人との交渉の仕方、インド以外の国、を伝えていきます。
細々と旅の備忘録的に書いていくのでスロースペースですがよろしくお願いしますね。
なんかインドでこんなことして欲しいという意見があればやるかもなので是非。